2010年8月17日

岡本太郎美術館へ行ってきたのだ。

この猛暑日を記録してこの夏一番の熱さというさなか、自転車に乗って岡本太郎美術館へ行ってきました。

三鷹の自宅から調布経由、多摩川サイクリングロードを通って狛江、向ヶ丘遊園経由で生田緑地の岡本太郎美術館まで1時間ちょっと。ちょうどいいサイクリングコースなのであります。…季候さえ良ければ(笑)

実際は、若干の向かい風、照りつける太陽、ほんと熱中症になるのではにかという恐怖心と警戒心でいっぱいになりながら走ったのでありました。

岡本太郎さんには「好き」というにはちょっと遠い感情しか持っておらず、でもまあ面白そうな人だし興味はありました。

しかし周囲にやたらと「岡本太郎美術館は良いよ!」と進めてくれる友人知人が数多く、ようし近いし行ってみるかという運びになったわけであります。

それにしても実際見てみると、やっぱりすごい迫力と情熱のほとばしった作品たちで、平面にいるのがもどかしいように思え、やっぱり立体作品の方がのびのびと表現されているような気がして好きでした。

環境も良いし、オススメです。

芸術家とか、物書きとか、肩書きではなく、人間岡本太郎として、できる表現は何でも使ってやる…その姿勢が素敵だと思いました。そういうとこ、ちょっと伊丹十三さんと似てますね。伊丹さんはアーティストというより「プロ」って感じだけど。


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2010年11月 1日

1Q84、考える人・村上春樹インタビュー。
1Q84 BOOK 1 1Q84 BOOK 2 1Q84 BOOK 3 考える人 2010年 08月号 [雑誌]
だいぶ前のことになるけれど、村上春樹「1Q84」と、雑誌「考える人」の村上春樹ロングインタビューを読み終えた。
私にとって村上春樹は「一番好きな作家」ではないけど、「新刊の小説が出たら絶対読みたい」小説家の一人である。この「1Q84」はBOOK1が発売されてからだいぶ後、遅れて発売されたBOOK3まで発売されたさらに後で、まとめてかって一気読みした。読む前には賛否両論、というかどちらかというと「否」の評判を聞くこと、目にすることが多かったけれど、結論から言うと、私には面白かった。

小説に何を期待するか、ということがある。面白いストーリーやぐいぐい引き込む世界観、新しい提案や意外性、衝撃的な展開を期待することもあれば、癒し、慰め、なんかを求めることもあるかも知れない。私の場合、多分、その小説世界をすべて、まず受け入れてみることから始まる。そしてそこに私にとって何らかの「気づき」があると「面白い」と感じるのかも知れない。
私も某巨大宗教団体の熱心な信者を祖母にもっていたので、宗教というもの、信心というものを身近に感じながら生きてきた。それは自ら選び取ったものではなく、祖母から与えられていたものだ。あたりまえに与えられすぎていて、ある時まで違和感はなかった。でも物心がつき、自我が強くなっていくにつれ、生じた疑問や新しい世界への興味などから、祖母の与えてくれる教えは、祖母を傷つけない程度に聞いているだけで、私はもっと他の世界に「何か信じるもの」を求めるようになった。両親がその宗教の信者ではなかったことが、私を自由にさせてくれた、私はラッキーだった。私は宗教というものに興味のある、ちょっと変わった高校生だったかも知れない。そして今は、何かを信じる人に、ある意味寛容な大人だと思う。
宗教は必要だし、人には何か信じるものが必要で、それが自分だったり友人だったり神様だったりするのだと今は思う。人は自分の信じるものを守るために、時として他の人の大切なもの、大切な世界を傷つけ、踏みにじる。もちろん自分の世界を守るためには何をやっても良いわけではない。でも、どんなに気をつけても、誰も傷つけずに生きてきた人などいないのだ。そして自分の力の及ばない、何をどうやったって自分の力ではどうしようもできないことに出会ったとき、人は祈る。
青豆さんは、そうなっていたかもしれない、もう一人の私かも知れない。
私は自分の目に見えない世界の存在を違和感なく受け入れることができるし、受け入れないこともできる。そして自分で選び取った世界で生きていくのだ。時には、自分で世界を作り上げていくのだ。ラブストーリーとも言える、でも、愛こそは信じる心の核心だと思う。ひとつの宗教だ。

さらに村上さんのインタビューを読んで、仕事に向き合う姿勢に共感を持つ。昔、「体を鍛えなきゃ良い小説は書けない」というような発言を聞いたときに、へー、ほー、すごいな、ストイックだな。と漠然と思った。小説家とか芸術家というのは自堕落に、思いのままに、感性のままに生きてそれを表現するのがひとつのかっこよさみたいなものだという、世間の常識がある。でもそうではなく、自分が表現したいことを全力で表現するため、体を鍛え、自分を整え、端正に作品を整えていく。
体力仕事。
小説を書くのも料理を作るのも同じだと思う。適当に感性で作って美味しく作れる料理人は天才だ。でも私は凡人なので、いつも自分が全力を出すことができるように、体調を整え、体力をつけ、自分を良い状態にもっていった上で、全力で料理を作る。そのくらいしないと、「おいしい」といってもらえるものは作れないという覚悟でやっている。とくにこの年になると、自分の体はメンテナンスしないとまったく言うことを聞いてくれない。


村上春樹は誰が何と言っても、よい小説家なんです、わたしにとっては。
 

2010年11月 9日

ベンダ・ビリリ!

吉祥寺、バウスシアターにて。

http://bendabilili.jp/movie/index.html

屈強のコンゴ魂

コンゴの路上で生活していた、車椅子のミュージシャンたち。体に障害があっても内面は強く、美しく、輝いている。「ベンダ・ビリリ」とは「外見を剥ぎとれ」という意味で、「内面(の精神)を見よ」ということ。そういうバンド名を名乗る彼らの歌う歌詞は、飾り気もなく、生きた言葉として、素直に心に響く。もちろん、メロディも。作為のない魂から紡ぎ出されるメロディ。素直に感動した。

彼らが三鷹市公会堂に来て演奏していたというのに、見過ごしたとはなんたる不覚!!

コンゴといえば、高野秀行の「幻獣ムベンベを追え!」で登場した国というイメージ。

幻獣ムベンベを追え (集英社文庫)
諦めない。人生に遅すぎることなどない。諦めてはいけない。受け入れながら、希望を捨てない強さ。生きるってことを楽しく力強く美しく感じさせてくれる。
 

2011年2月18日

ハイドゥナン/藤崎慎吾

バタバタしていて読んだ本について全く書いてこなかったのだけれど、実は密かに読書はしていて、ずいぶん前に読み終わったものから感想を書こうと思って溜まってしまった。

ハイドゥナン〈1〉 (ハヤカワ文庫JA)

ハイドゥナン/藤崎慎吾 は、お客様のT島さんのお薦めで読んだ本。「もう夢中で読んだね!」という言葉に、SF苦手な私の手が伸びた。沖縄が沈没の危機にさらされている、その中で科学者と沖縄のヌムチ(巫女)と一人の青年が沖縄を救うべく奔走する…ひらたくいうとそういう話である。

けれど現在の日本の置かれた状況や、世の中で起きている事件(尖閣諸島の問題や、中国漁船の例の事件とか)と未来であるはずの小説の世界が、ビックリするほどリンクしてくる。そりゃもう怖いくらいである。

ただガチガチのSF小説だったら私には無理だったかも知れないけれど、主人公の青年と、ヌムチの少女の存在が、この小説を読みやすくしてくれる。それで小説世界に入った後は、それらの主人公よりも科学者の気持ちに傾倒していく自分もいる。そして個人の純粋な気持ちや理念よりも、国家の都合が状況を左右してしまうというのも、さもありなん、と思わせられ…。

個人的な共感とか救いを求める小説ではないと思うけれど、世界を考える上での一つの提案がある気がする。主人公二人のラストは、個人的には蛇足というか…そんなんありか?!と思ってしまったけれど。とても興味深く面白い小説でした。

 

2011年2月24日

ヌフカフェはなぜ潰れないのか? / 武田康伸

ヌフカフェはなぜ潰れないのか ~武田康伸のカフェ経営哲学

リトスタをはじめる前、いくつかのいわゆる「人気店」見て回った。「ヌフカフェ」もそのうちの一つのお店で、隠れ家的な雰囲気、リビングルームのような内装、使い古された家具、などなど、私が思い描いている「リトルスターレストラン」に近い要素をたくさん見て取ったのを覚えている。もちろん「ヌフカフェ」の方がだいぶ「オシャレ」で「都会的」ではありましたが…。

今回、ツレアイokayanが古本屋上々堂でたまたまこの本を見つけてきてくれたので、どれ、と興味本位で読み始めたのだけど…開店前に私が考えていたこと、今考えていること、感じていることと共通点が多くて、答え合わせ的に「だよね、そうそう、分かってたよ」なんていう共感があった。

「店の空間を自分の好きなもので固めることにしたー中略ーリビングルームのように、カフェでお客さんにくつろいでもらえばいいじゃないか」

「変化があまりにも僕のなかで違和感がある時には、まずスタッフに理由を聞く。とがめるために聞くのではない。その理由を聞くことが、また面白いからだ。その答えが、僕の価値観を広げることもある」

「〝自分は何を提供したいのか〟が明確ならスタートラインに立てる。つまり自分の主観を提供するのだ。」

「やりたいことがあるなら、それについて、最低限の必要な力を持たねばならない」

「どんな状況になっても自分一人でも必ずやるという決意、どんな困難があっても必ず何とかするという覚悟があってこそ、やりとげられると思っている。」

「「勉強させてもらいます」なら、授業料をもらいます」

「普段使いのできる気楽な店でありたい。街で一番の店でありたい」

「経営という仕事は、大きな判断と小さな判断の連続。ー中略ー判断のスピードを上げるためには、現状をしっかり把握しておかねばならない」

「僕には子供がいない。でも店の経営は、子供を育てることに似ていると思う。もし僕に子供ができたら、きっとこう育てるだろうというやり方で、店を育ててきたからだ。」

ざっとあげただけでも、こんな感じ。よく分かる。でも、これって、きっと店をやらないと本当に理解はできないだろうと思う。これからカフェをやりたい人がこの本を読んで「なるほどそうしよう」と思っても、表層上で真似てやれることとやれないことがある。店をやってみて実感して「あの武田さんが書いていたことはこのことだったんだな」と理解する日が来るのかも知れない。How to本としてこの本を読むと、実践するのは難しかろうな。実践できればいいお店が作れると思う…うちのお店みたいな(笑)。でも、私はオープン前にこの本を読んでも、ちゃんとは理解できなかったかも知れないな。

武田さんと自分に似たところを発見しつつ、武田さんは私よりよりビジネスマンだ。私はどうしても、事業拡大とか考えられないしなー。リトスタは私にとって「ビジネス」ではなくて「ライフワーク」です。

 

2011年5月 1日

灰色の輝ける贈り物
灰色の輝ける贈り物 (新潮クレスト・ブックス)

灰色の輝ける贈り物 / アリステア・マクラウド 中野恵津子・訳

スコットランド高地からの移民の島、カナダ、ケープ・ブレトン。そこに暮らす人々、そこを訪れた人、そこを出て行こうとする人の物語集(短編集)。

うちのお店のスタッフきめちゃんのオススメで貸してもらったうちの一冊で、過疎がすすみ、かつてあったはずの活気が失われている田舎町を舞台に繰り広げられる、人々の暮らし、生きていくことについての物語の数々は、地味だけど、いや地味だからこそ、誰にも身に覚えのある人生の一コマが切り取られている。派手な事件や言葉が一切無いので読み流してしまえばそれまでだけれど、人生のその場面に自分が巡り会ったとき、ふと風景のように思い出されるような物語たちのように思えた。私のお気に入りは「ランキンズ岬への道」。色の洪水のような風景描写と、祖母の心意気にジンとする。

The Boat (船)
「自分本位の夢や好きなことを一生追い続ける人生より、ほんとうはしたくないことをして過ごす人生の方が、はるかに勇敢だと思った」
…私には耳が痛いけど、そう思うときがある。

The Vastness of the Dark (広大な闇)
「俺は今、物事をあまりにも単純化して考えることの危険性に気づいて茫然としている」

 

楽園への道
楽園への道 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-2)
楽園への道 / パルカス=リョサ 田村さと子・訳
池澤夏樹=個人編集 世界文学全集2巻目。順に読んでいこうと思っていたら、年1冊ペース…全部読み終えるのに30年かかるのか?!私。
ゴーギャンとゴッホは私の好きな画家だ。ただ単に好きだというだけであって、その二人がどんな性格だったか、芸術史における二人の立ち位置や関係などは全く知らなかった。この物語を読んで二人が密接に?関わっていたことを知り、ゴーギャンの祖母の偉大な生き方を知り、なんだか腑に落ちるところがあった。この物語は、「芸術の殉教者」ポール・ゴーギャンと、その祖母である「スカートをはいた煽動者」フローラ・トリスタンの人生のうち、もっとも力強く意志的に生きた時期を中心に描いている。どちらもその時代の流れからすれば反逆者、それでも自分の信じた道をひた走り(そう、その姿は歩くというより全力疾走のように思える)、世の中からは見とがめられたり迫害されたりしながら、時にすばらしい理解者に恵まれ、それでもマイノリティの中のマイノリティとして志半ばでその生涯を終える…。
読んでみると、ゴーギャンの自分を貫く強さは「自分勝手さ」と紙一重のような気がするけど、祖母のフローラ・トリスタンは「自分勝手」と時代のせいで思われてしまっただけで、自分の思いのままに生きたというよりも、その思いを正しいと信じて、時代の弱者たちを救おうとしたところが大きい…自分を貫く強さは、単に自分の自由のためだけではなかったと思わせられる。フローラは「怒りんぼ婦人」などともいわれてしまうようだけど、その激しさも含めて好きだ(笑)理想や夢を語らないのは、社会のせいのせいではなくて自分に寄るところが大きい。目をこらし、想像し、考え、行動する。自分の楽園への道をひたすら進む、それにも一つの覚悟が必要なのだ。
 

虹の彼方に
虹の彼方に ──池澤夏樹の同時代コラム
虹の彼方に 池澤夏樹の同時代コラム / 池澤夏樹
2000年の春から2006年までの間、月刊「現代」の巻頭に書かれたコラムを中心に、その他の新聞や雑誌に掲載された文章もまとめた本。その頃、池澤夏樹は沖縄に住んでいて、政治的話題が周囲に満ちていた。9/11のテロが起こって、偶然のきっかけで池澤夏樹は開戦前夜のイラクに行った。そういう時代。時代というにはあまりに最近のあの頃。コラムの連載が終わって数年経ってからこの本は出版され、その頃一度読んだが、この機会にもう一度読み直してみた。そして、その頃の、本の中で語られている状況と、社会や政治や世界の仕組みや抱えている問題は、今もまたほとんど変わっていないのだということを感じた。沖縄の基地問題は、なんとなく原発の問題と共通する問題を抱えているように思うし、テロで変わってしまった世界の色調は、東北関東大震災と原発の事故をきっかけに、またその色を変えようとしている。今、私たちは世界の変化を、よく見て、よく感じて、リアルにより素晴らしい世界を想像して、動き出さなければならないんじゃないかな?
 

2011年5月 9日

平松洋子の台所
平松洋子の台所

平松洋子の台所 / 平松洋子

母の遺品を整理している中で、見つけた本。2001年に出版、初版第1刷とあるから、きっと新しいうちに買い求めたのであろう。平松洋子さんの本はいくつか読んでいるけど、母と似たタイプの人に思われる。平松さんの方がずっとずっとアクティブでありますが。

平松さんは数え切れないほどの食を中心とした暮らしのエッセイを書かれている。こんなに色々なものに興味があって、こだわりがあったら、いくら時間とお金があっても足りないだろうと思うのだけれど、彼女はえいやとアクティブにその興味やこだわりを推進する。高けりゃいいもんではない、もちろん安けりゃいいもんでもない、でも自分の「これ!」っていうアンテナに引っかかった獲物は逃しはしない…。そのアンテナのセンスが母と似ている…つまりは私のツボもつきまくるのだ。

もしもセンスが違っても、私がいいなとおもう人は「美学」を持っている。そのひとなりの「美学」。コンセプトとか理論とかルールとか言い方は色々あるかも知れないけれど「美学」ってのが私的には一番しっくり来る。世間の評判とか、周りの人の評価とか、常識的なあるべき論とか、そういうことでなく、自分なりにめいっぱい吸収して消化したあとに生まれる「美学」こそが、人を強く、美しくしてくれるような気がする。ミヤザキアサミもその美学に従って生きるのだ。リトルスターレストランもそうやって今までやって来たのだ。

 

たぶん彼女は豆を挽く
たぶん彼女は豆を挽く

たぶん彼女は豆を挽く / 庄野雄治

「ささやかだけれど、役に立つコーヒーのこと」と帯にあるように、いわゆるがっつりしたコーヒーの入門書ではない。コーヒーを好きになって、もうちょっと興味を持って、もうちょっとおいしいコーヒーを入れるように努力したくなる…そんな本だと思う。珈琲の入門書としては友人のカイちゃんがつくったおいしい珈琲をごいっしょにの方がいいような気がする。でも全く無の状態から、ちょっと興味を持って読むならこんな本も良いですね。

ツレアイのokayanが懇意の古本屋さん上々堂で見つけて買ってきたのだが、とてもオシャレな本。ツレアイがコーヒーの本を書いたら、とてもこんなオシャレには仕上がらず、がっつりコーヒーに向き合った、多少コーヒーオタク臭のただよう、でも好きな人は好きな本になるだろう…。著者の庄野さんは珈琲の焙煎人で、四国の徳島市で「アアルトコーヒー」という珈琲豆屋さんをやっている。焙煎人には焙煎人の目線があるし、入れる人に入れる人の目線がある。実のところ珈琲の焙煎には、ツレアイより私の方が興味がある(料理人だからかな?)。そんな庄野さんとツレアイには共通点がある。それはロマンチストで佐野元春が好きだということ。でも庄野さんは「私の半分は佐野元春でできている」と書いていたけど、ツレアイの佐野元春濃度は20%ぐらいかな?

 

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