2011年2月 4日

母の誕生日に寄せて。
[ ミヤザキの日々暮らし。, 病室日記 ]

1月26日は母、ミヤザキヨウコの誕生日でありました。

11月19日に母がこの世を去ってから、その前後のことを残しておきたいと書きはじめた「病室日記」そして今書いている通夜、告別式の日のこと。思い返しながら記憶が薄まらないうちに書き留める…そういう作業をしているからといって、いつまでも悲しみに暮れているというわけではなく、ただ書くということが、私にとってとても大切なことなんだなと思う。自分自身と向き合うためには(そして思索を深めていくためには)避けて通れないことだったりするのだ。

母の不在が逆に存在感を増していくこと…空いた穴ぼこの大きさはごまかしきれるものではなく、なかったことになんかもちろんならず、穴は穴自体に何もなくても存在するんだなと思う。何に空いた穴であるか、その大きさはどんなものか、様々な違いがあっても、穴は穴だけで存在できない、他者あっての穴なのだと。

なんてことを考えるともなく考えていたのだけど、タイムリーな記事を読んだ。

http://www.satonao.com/archives/2011/01/post_3114.html

内田樹さんの最終講義を聴いた「さとなお」さんの文章…内田さんのブログの原文を読むともっと深くしっくりくるのだけど、この記事がよくまとまっていて分かりやすいのでこちらを紹介。

世の中は「存在しないもの」に満ちていて、逆に存在しなくなってから、その存在の意味について考えはじめる…そうなのだ、逆にそれが存在し続けるということではないだろうか。

告別式の朝、母の棺の前で母のことを思って書いた文章…それは告別式で母への手紙として読み、棺に入れ、火葬場で母と一緒に旅立ったから、今はもう存在しない。あの日、母と向き合った気持ちは、二度と同じようには戻ってこない。けれど何度も何度も母が私に語りかけてくる、存在しなくなった今もつづくそのことは、あの日と同じようにかけがえがない。

告別式の後、多方面から「あの手紙が良かったよ」と声をかけていただいた。「上手く書こうと思っちゃダメ、作文は思ったことを思ったように書くのが一番いい」と教えてくれたのもやはり母だった。人生の中であれほど思ったことを思ったように書けた文章はなかったように思う。そのくらい切実に、私は思ったことを書いたのだった。

思い出してみる。

それはこんなふうだった。




おかあへ


おかあに書く、最初で最後の手紙になります。考えてみれば、書こうと思えばいつでも書けたのに、結婚式の時も、一人暮らしをしているときも、一度も手紙を書かないでごめんなさい。もっと早く書けば良かったね。

私は小さい頃、あなたのことを「ママ」と呼んでいました。けれど小学校の高学年の頃、急にそのことが恥ずかしくなったのです。周りの友達は「お母さん」と呼んでいる人が多かったし、私はその頃もう既に今みたいにバンカラな性格だったから、ガラじゃなかったのです。それで、ふざけて「オフクロ」とか「かあちゃん」とか、色々呼んでみたけれど、結局「おかあ」に落ち着きました。あなたは初めのうち、少し嫌がっているようでした。でも、高校生にもなると、友達も皆あなたのことを「あーちゃんのお母さん」ではなく、「おかあ」と親しみを込めて呼ぶようになりましたね。そう、「おかあ」といえば自分のお母さんではなく、あなたのことを指すようになりました。

年子の姉である私は、物心ついたときにはもう、甘え方を知らない子供でした。天真爛漫に甘えることを知っている妹と違って、甘えることに気後れして、気づいたときには甘え方が分からなくなっていました。きっとあまりかわいげのない子供だったと思います。けれど甘えることを知らない私に、あなたは「自由」という翼をくれました。「考えたとおりに、思った通りにやりなさい」。受験する高校を決めるときも、専門学校に行くと決めたときも、就職を決めたときも、会社員をやめてフリーのプランナーになると決めたときも、「あーちゃんがそう決めたならそうしなさい。大丈夫!」と勇気づけてくれましたね。おかあにそう言われることで、私は自由と勇気ともらっていたのだと思います。

あなたが家庭料理のお店をやりたいと言ったとき、私は一も二もなく賛成しました。おかあの料理が本当に大好きだったし、そんな料理が食べられるお店があるなら、ぜひ通いたいと思ったから。そして、いつしかあなたの夢は、私の夢になりました。おかあがいなければ、リトルスターレストランは存在しなかった。おかあがいなかったら、私の夢は、もっと違う形のものになっていたかも知れません。

ツレアイのokayanは、お店にいる間に、あなたに大切なことをたくさん教わったそうです。「俺にとってお母さんは、君のお母さんであるという以上に、特別な女性なんだよ」と何度も言っていました。おかあも「私は前世でokayanの妹だった気がする」なんて言っていましたね。きっと何か魂のつながりがあるのかも知れませんね。

今思うと、リトルスターレストランで一緒に働いた一年弱の時間は、かけがえのないものだったのだとよく分かります。たくさん笑って、よくしゃべって、喧嘩もしましたね。一生の中でとても濃い時間をあなたと過ごしました。料理を習って、同時に人生の中で大切にしなければならないことを、たくさん教えてもらいました。

小学校一年生の頃、朝顔の観察日記で、ろくに朝顔を見ないで花の絵を描いて、「よく見て描きなさい!」とこっぴどく叱られたことがありましたね。そうして私は、よく見ると言うことを学び、絵を描くことが好きになりました。写生会の作品が市で表彰されると、「わたしがあの時叱ったおかげよ」と笑っていましたね。作文の授業で「上手く書けないから作文が嫌いだ」と文句を言うと、「上手く書こうとするからいけない。思ったことを書きなさい」と叱られました。「作文なんか大嫌い」という作文を書いて先生に誉められ、思ったことを書く楽しさを知りました。

曲がったことや、ずるいこと、筋の通らないことが大嫌いで、いい加減なことをしたり、嘘をついたり、狡いことをすると死ぬほど叱られました。そんなあなたの厳しさを「ミヤザキ家の鬼軍曹」「鬼ヨウコ」なんて茶化したこともありました。けれど、今、私にあなたが与えた影響を考えると、あなたが「鬼」で良かったと、心から思います。

仕事を持っていて忙しい時代も多かったのに、家の中はいつもきれいで、料理は美味しく、家事は完璧。厳しさも、優しさも、もちろんその美貌も、自慢の母でした。

あなたは、人生で出会った人の中で、一番尊敬している人です。

こういう気持ちを表現しようとすると、当たり前の言葉しか見つかりません。

ありがとう。

また生まれ変わっても、あなたの娘に生まれたいと思います。

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思い出して書いてみて思うのは、やっぱり何かが「違う」ということ。

あのとき書いた文章は、やっぱり戻っては来ない。

それでもここに記しておく、あの時の気持ちを、ほんの少しでも。

 

2011年2月 8日

ゆったり休日でした。
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日曜日の仕事が終わったあと、悪ノリして朝まで呑んでいたので、寝坊の休日。
とはいえ昼前に起きて洗濯、半身浴しながら「考える人」の紀行文特集を読み、チカぱんで軽めのランチ。
ウォーキング代りに実家まで歩いていって工具を借りてもどってくる。途中で好きな蝋梅の花が咲いていた。
夜は父と武蔵境の焼肉「とき」へ。小さい頃からずっと通っている焼肉屋さんで、飲む。思えばここへ来るのは、母が覚醒した日以来だった。
そしていつもどおり体重増加の週明け。がんばろう。

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2011年2月18日

ハイドゥナン/藤崎慎吾

バタバタしていて読んだ本について全く書いてこなかったのだけれど、実は密かに読書はしていて、ずいぶん前に読み終わったものから感想を書こうと思って溜まってしまった。

ハイドゥナン〈1〉 (ハヤカワ文庫JA)

ハイドゥナン/藤崎慎吾 は、お客様のT島さんのお薦めで読んだ本。「もう夢中で読んだね!」という言葉に、SF苦手な私の手が伸びた。沖縄が沈没の危機にさらされている、その中で科学者と沖縄のヌムチ(巫女)と一人の青年が沖縄を救うべく奔走する…ひらたくいうとそういう話である。

けれど現在の日本の置かれた状況や、世の中で起きている事件(尖閣諸島の問題や、中国漁船の例の事件とか)と未来であるはずの小説の世界が、ビックリするほどリンクしてくる。そりゃもう怖いくらいである。

ただガチガチのSF小説だったら私には無理だったかも知れないけれど、主人公の青年と、ヌムチの少女の存在が、この小説を読みやすくしてくれる。それで小説世界に入った後は、それらの主人公よりも科学者の気持ちに傾倒していく自分もいる。そして個人の純粋な気持ちや理念よりも、国家の都合が状況を左右してしまうというのも、さもありなん、と思わせられ…。

個人的な共感とか救いを求める小説ではないと思うけれど、世界を考える上での一つの提案がある気がする。主人公二人のラストは、個人的には蛇足というか…そんなんありか?!と思ってしまったけれど。とても興味深く面白い小説でした。

 

2011年2月21日

皿うどん、太麺で!
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酢を少しかけて頂くのがよい。


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チカぱんクッキーとコーヒー。
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差し入れにいただいた、チカぱんクッキー。オートミールのクッキーって、何気に大好きなのよね~。素敵なお店(自画自賛)でおいしいクッキー、至福の午後。
いや、休日出勤ですって。

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2011年2月24日

ヌフカフェはなぜ潰れないのか? / 武田康伸

ヌフカフェはなぜ潰れないのか ~武田康伸のカフェ経営哲学

リトスタをはじめる前、いくつかのいわゆる「人気店」見て回った。「ヌフカフェ」もそのうちの一つのお店で、隠れ家的な雰囲気、リビングルームのような内装、使い古された家具、などなど、私が思い描いている「リトルスターレストラン」に近い要素をたくさん見て取ったのを覚えている。もちろん「ヌフカフェ」の方がだいぶ「オシャレ」で「都会的」ではありましたが…。

今回、ツレアイokayanが古本屋上々堂でたまたまこの本を見つけてきてくれたので、どれ、と興味本位で読み始めたのだけど…開店前に私が考えていたこと、今考えていること、感じていることと共通点が多くて、答え合わせ的に「だよね、そうそう、分かってたよ」なんていう共感があった。

「店の空間を自分の好きなもので固めることにしたー中略ーリビングルームのように、カフェでお客さんにくつろいでもらえばいいじゃないか」

「変化があまりにも僕のなかで違和感がある時には、まずスタッフに理由を聞く。とがめるために聞くのではない。その理由を聞くことが、また面白いからだ。その答えが、僕の価値観を広げることもある」

「〝自分は何を提供したいのか〟が明確ならスタートラインに立てる。つまり自分の主観を提供するのだ。」

「やりたいことがあるなら、それについて、最低限の必要な力を持たねばならない」

「どんな状況になっても自分一人でも必ずやるという決意、どんな困難があっても必ず何とかするという覚悟があってこそ、やりとげられると思っている。」

「「勉強させてもらいます」なら、授業料をもらいます」

「普段使いのできる気楽な店でありたい。街で一番の店でありたい」

「経営という仕事は、大きな判断と小さな判断の連続。ー中略ー判断のスピードを上げるためには、現状をしっかり把握しておかねばならない」

「僕には子供がいない。でも店の経営は、子供を育てることに似ていると思う。もし僕に子供ができたら、きっとこう育てるだろうというやり方で、店を育ててきたからだ。」

ざっとあげただけでも、こんな感じ。よく分かる。でも、これって、きっと店をやらないと本当に理解はできないだろうと思う。これからカフェをやりたい人がこの本を読んで「なるほどそうしよう」と思っても、表層上で真似てやれることとやれないことがある。店をやってみて実感して「あの武田さんが書いていたことはこのことだったんだな」と理解する日が来るのかも知れない。How to本としてこの本を読むと、実践するのは難しかろうな。実践できればいいお店が作れると思う…うちのお店みたいな(笑)。でも、私はオープン前にこの本を読んでも、ちゃんとは理解できなかったかも知れないな。

武田さんと自分に似たところを発見しつつ、武田さんは私よりよりビジネスマンだ。私はどうしても、事業拡大とか考えられないしなー。リトスタは私にとって「ビジネス」ではなくて「ライフワーク」です。

 

2011年2月28日

リフレッシュとリラックス。
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一年ぶりの美容院で髪もスッキリ。ワンフロアに大きな鏡と椅子がひとつだけ、静かな音楽、自分だけに用意された時間を満喫した。精神統一。
その近所のストアーの一角にできていたちいさなカフェspoonfulでひと休み。贅沢な休日だ~

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