朝、出勤準備をしていると電話が鳴る。滅多に鳴らない家の電話である。
「おとうだけど、やばいよ、病院に呼び出されちゃったよ。ご家族も呼んでくださいと言われたけど、来れるか?」
いつもより少し早口で、慌て気味の父。もちろん私は仕事があるのだが、行くに決まっている。
「すぐ行く!」
身仕度して、自宅から自転車を飛ばして10分。脳卒中センターの中に入ると、ちょうど面談室から父と先生が出てきた。「長女です」と父が言うと「じゃ、中でもう一度ご説明します」と面談室へ。父がもらった病状の説明書を広げて先生が言った。
「再出血しています。心肺停止して、瞳孔が開いています。今は人工呼吸器で呼吸させ、血圧を上げる薬を投与しています。心臓は動いています。けれど、頭蓋骨の手術もして、出血も体外へ送り出している状態でありながら、なお再出血するということは、これ以上手の打ちようがないんです」
パソコンに母の脳のMRIが映し出される。倒れた直後のもの、頭蓋骨を取った後のもの、そして今朝。今朝の脳の中には、倒れた直後よりも血が広がっていることがわかる。
「手の打ちようがないって事は…」
「見守るしかないということです…」
先生は余計なことをあまり話さない人なのだが、よけい伏し目がちになり無言になった。言っていることは分かるのだが、ちょっと呆然としてそれ以上言葉が出てこない。というか何か言ってどうなるものでもないのだ。父は「お前、大丈夫か?俺は思わず泣いちゃったよ」と言うけれど、私には言葉がない。「はあ…」と私はつぶやいて、しばらくMRIの画像を見ていたけれど、「とりあえず、母に会います」とだけ、やっと自分の意志を伝えた。
病室に向かう途中、「きょう、誕生日だね」と父に言うと、「人生最悪の誕生日になっちゃったよ」とおどけて言った。おめでとうと言う気分にはとうていなれない。
病室で、母は前と変わらない様子で横たわっているように見えた。けれど「おかあ、麻美だよ」と話しかけても、瞼は動かなかった。頭にされた包帯に少し血が飛んでいた。本当は今日の午後に、造影剤を投与して、MRIを撮り、治療の方向性を検討するはずだったのだ。容態が急変したのは今日の朝早くだったという。予定より早くMRIを撮ることになったけれど、もう手遅れだったのだ。
店に電話してokayanに報告。冷静を保っているつもりだったけど「…見守るしかないって」というところは声にならなかった。私は今日はお店に行かないから、今いるスタッフでどうにかして欲しい。スタッフに現状を報告して、明日明後日の営業形態を検討して欲しい。いろいろと指示を出して、自分が母のそばにいるための手はずを整える。スタッフを日々育ててきたのは、もちろんボランティア活動なんかじゃない。こういう時、その真価が発揮されるのだ。信頼に足るスタッフに囲まれている、いざというとき頼りになる、その幸せ。これで少なくとも定休日の月曜日まで、4日間私の体はフリーになった。
しばらく父と二人で病室にいたけれど、看護士さんに「今は安定していますから、急にどうこうなるって事はないと思いますよ」と言われ、食事をしに病院の外へ。こんな時だからこそ、まずいものは絶対に食べたくないと放浪の末、駅前の中華料理店へ。水餃子と麺のセットを注文すると父が「あと、生ね!」と言う。「ええ!こんな日まで飲むか普通」「飲まなきゃやってられないだろ」「しかたないなー…じゃ私も、生!」と、ひどい告知を受けた日に昼からビールを飲む親子。「おかあに、怒られそうだね」「いや、あいつららしいと苦笑いしてるよ」
午後遅い時間に、甥っ子の幼稚園の面接を済ませた妹の一家がやって来た。再度先生が、妹家族に直接、現状を説明してくれる。私と父が聞けなかったことを妹が聞いた。「それで、あとどのくらい持つんですか?」すると先生は沈痛な面持ちで「患者さんの体力にもよるので、何とも言えないんですが…2、3日かも知れないし、1週間かも知れません…患者さん次第です…」と言った。「脳死に近い状態です」
呆然とした。なんだか嘘みたいだった。
妹たちと母の病室に移動する。「一昨日来たとき、ママはあくびしたんだよ」と妹が言った。今は完全に無反応になっている。でも温かいし、口元には唾液が溜まってきたり、排泄物があったり、生きているのがわかる。脳死が人の死だなんて冗談じゃないと思う。
何とはなしに、だれかが必ず母のそばについているようにしようということになった。意外と眠る状況にデリケートな父と、子連れの妹には泊まりが無理なため、必然的に私が毎日泊まり込むことになる。短期間でもバックパッカー体験もあるし、体力に自信もあるし、どこでも寝られることにおいて私の右に出る者はいない。
面会時間の20:00を過ぎた頃、家族は皆で連れ立って帰って行った。甥っ子がいるのだからそう遅くまでいるわけに行かない。病室にいる間にやらなくてはならない、ということは何もなくて、自ら何をするかだ。アロママッサージオイルを持っていたので、母の手足を中心にマッサージを施し、顔をふき、化粧水や乳液を施す。母の自慢の美貌をそう簡単に失わせるわけにはいかない。マッサージをすると少しむくみがとれてくる。やっぱり生きているのだ。
今頃お店は週末の夜の忙しい時間を過ごしていることだろう。私は静かな病室で長い夜を迎えている。病室で過ごす時間のために本を買った。村上春樹訳、レイモンド・チャンドラーの「ロング・グッドバイ」。タイトルも今の気分にぴったりな気がしたし、チャンドラーは好きで以前読んだことがあるのだが、村上春樹訳とくるなら、読み直したいと思っていた。こういうとき読みたい文体や内容ってすごく限られてくるんだなと思った。私が読みたくなったのは、村上春樹、池澤夏樹、金城一紀、ジョン・アーヴィング、いしいしんじなど。切実さを感じる文章が多い作家さんばかりだ。そして何より、この分厚い本を読み終わるまで、少なくとも母が生きていることを祈って。
夜中、仕事を終えたokayanがやって来た。「俺はとにかく、お店をやるよ。君が心置きなくお母さんのそばにいられるように」そう、okayanがいるから私は自由になれる。「みんな目の色を変えて頑張ってたよ」と嬉しい言葉。「お母さんは、俺にとって、嫁のお母さんであるという以上に特別な女性なんだよ…お母さんがいなかったらリトスタはなかったし、接客も、ものの考え方も、たくさんのものをもらった」と何度も口にしていたokayan、今は母のそばにいることよりも、きちんとお店を営業することが、私と母に対する彼の誠意なのだろう。早起きが苦手なくせに、毎朝毎晩見舞いにくると言い残してokayanは帰った。
「この1回1回が、俺にとってお母さんと会えるチャンスなんだよ」
父が「うちはいい婿をもらったな」と言っていたことを、不意に思い出した。