![考える人 2010年 08月号 [雑誌]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51ijyeXRTpL._SL160_.jpg)
だいぶ前のことになるけれど、村上春樹「1Q84」と、雑誌「考える人」の村上春樹ロングインタビューを読み終えた。
私にとって村上春樹は「一番好きな作家」ではないけど、「新刊の小説が出たら絶対読みたい」小説家の一人である。この「1Q84」はBOOK1が発売されてからだいぶ後、遅れて発売されたBOOK3まで発売されたさらに後で、まとめてかって一気読みした。読む前には賛否両論、というかどちらかというと「否」の評判を聞くこと、目にすることが多かったけれど、結論から言うと、私には面白かった。
小説に何を期待するか、ということがある。面白いストーリーやぐいぐい引き込む世界観、新しい提案や意外性、衝撃的な展開を期待することもあれば、癒し、慰め、なんかを求めることもあるかも知れない。私の場合、多分、その小説世界をすべて、まず受け入れてみることから始まる。そしてそこに私にとって何らかの「気づき」があると「面白い」と感じるのかも知れない。
私も某巨大宗教団体の熱心な信者を祖母にもっていたので、宗教というもの、信心というものを身近に感じながら生きてきた。それは自ら選び取ったものではなく、祖母から与えられていたものだ。あたりまえに与えられすぎていて、ある時まで違和感はなかった。でも物心がつき、自我が強くなっていくにつれ、生じた疑問や新しい世界への興味などから、祖母の与えてくれる教えは、祖母を傷つけない程度に聞いているだけで、私はもっと他の世界に「何か信じるもの」を求めるようになった。両親がその宗教の信者ではなかったことが、私を自由にさせてくれた、私はラッキーだった。私は宗教というものに興味のある、ちょっと変わった高校生だったかも知れない。そして今は、何かを信じる人に、ある意味寛容な大人だと思う。
宗教は必要だし、人には何か信じるものが必要で、それが自分だったり友人だったり神様だったりするのだと今は思う。人は自分の信じるものを守るために、時として他の人の大切なもの、大切な世界を傷つけ、踏みにじる。もちろん自分の世界を守るためには何をやっても良いわけではない。でも、どんなに気をつけても、誰も傷つけずに生きてきた人などいないのだ。そして自分の力の及ばない、何をどうやったって自分の力ではどうしようもできないことに出会ったとき、人は祈る。
青豆さんは、そうなっていたかもしれない、もう一人の私かも知れない。
私は自分の目に見えない世界の存在を違和感なく受け入れることができるし、受け入れないこともできる。そして自分で選び取った世界で生きていくのだ。時には、自分で世界を作り上げていくのだ。ラブストーリーとも言える、でも、愛こそは信じる心の核心だと思う。ひとつの宗教だ。
さらに村上さんのインタビューを読んで、仕事に向き合う姿勢に共感を持つ。昔、「体を鍛えなきゃ良い小説は書けない」というような発言を聞いたときに、へー、ほー、すごいな、ストイックだな。と漠然と思った。小説家とか芸術家というのは自堕落に、思いのままに、感性のままに生きてそれを表現するのがひとつのかっこよさみたいなものだという、世間の常識がある。でもそうではなく、自分が表現したいことを全力で表現するため、体を鍛え、自分を整え、端正に作品を整えていく。
体力仕事。
小説を書くのも料理を作るのも同じだと思う。適当に感性で作って美味しく作れる料理人は天才だ。でも私は凡人なので、いつも自分が全力を出すことができるように、体調を整え、体力をつけ、自分を良い状態にもっていった上で、全力で料理を作る。そのくらいしないと、「おいしい」といってもらえるものは作れないという覚悟でやっている。とくにこの年になると、自分の体はメンテナンスしないとまったく言うことを聞いてくれない。
村上春樹は誰が何と言っても、よい小説家なんです、わたしにとっては。






