2010年6月13日
2010年6月16日
お客様で友人のマキノさんから借りる伊井直行シリーズ第3段。旦那さまのオーガさんも、夫婦揃って、歩み寄ったわけでなく好きだという作家さんだと言うからよけい興味も湧くってもんですよ。実際、前に借りた2冊も面白く読めたけれど、「これが本命」というかんじで借りたのが今回の本。
私、今のところ伊井直行作品では、この本が一番好きです。
本のタイトルがいいと思う。ひねくれてはいるけど、「愛と癒しと殺人に欠けた」と言いたくなる気持ち、よく分かる。世の中「泣けました!」「最高の愛!」とか「謎の殺人」とか多すぎる。そういうものって何気ない日常を踏み間違えたり、ふとした瞬間に出会うものであって、声高に言われると萎える。実際本の中には愛は描かれていると思うし、癒しもある意味あると思うけど、それだけを取り立てて主張するものではない、私にとって物語ってそういうものだ。いろんな要素の中の一つとして、愛とか癒しがある。ただ、本の前書きがあることで、やや冗長な感じを受けた。タイトルだけで、分かる人には分かるし、そういう読者がこの本には共感するのではないでしょうか。
<ヌードマン>の「ただ一糸まとわない裸で外を歩きたいだけだ」という言葉に違和感なく納得してしまう。普通の世界にあるおかしな欲望、のはずなのだが、なんとなく誰にでもうっすらとありそうな欲望。服を脱いでいく描写がリアル。<掌>はなぜだか古き良き小説の空気を感じた。<ローマの休日>は自分の母と父がそこにいそうな、日記を盗み見たような不思議な感じ。<スキーへ行こう>は柴崎有香が描きそうな日常。気だるい感じが変に心に残る。こういうことってあるよな。<微笑む女>主人公に共感しやすい小説。小さな謎、このくらいの謎が、私の周りにもよくある。ラスト、謎が解けたような解けないような…ってところが逆に印象的。<えりの恋人>意外とこれが一番心に残った。ダイのいらつきや疑問や自分の誇示の仕方が「いる!」じぶんもそういうところがある、えりの抱えるうっすらとした迷いや矛盾が女っぽい。
2010年6月17日
我が家は、2棟8家族で構成されるテラスハウスにある。うち以外はほとんど、子供のいるご家庭で、休みの日など仲良く子供たちが遊んでいる姿を目にすることができる。
うちは自転車置き場の隣にあり、子供たちがたまりやすい立地条件にあるらしい。うちの玄関は階段を2段上がったところにあるのだが、その階段に子供たちが集めたらしい宝物が、よく起きっぱなしにされている。
たとえば、だんごむしの集団、クリップ、葉っぱ、何かの木の実。
勝手にどかしてしまって、子供たちが悲しい思いをするといけないな、と思い、なるべくそのままにしているのだけれど、自動的に風化したり、子供たちが移動させたりしているようだった。
そして一昨日の夜、夜中に家に帰ると、階段の隅に小石が集められてた。何の規則性があるかは謎だけれど、わりと丸っこい石ばかりだ。「きっと何か考えて集めたんだろうな」と思うとどかすわけにもいかず、そのまま置いておくことにした。当然昨日の朝になってもそれはあった。仕事に行って夜中に帰ってきても、まだそれはあった。
「でも、位置が動いているような気がする…」
量が増えているかどうかはよく分からないが、なんとなく場所が変わったような気もして、かってに動かさない方が良いだろうと判断。自転車を折りたたんで玄関に入れるとドアを閉めた。
翌朝(今日の朝)。蒸し暑い空気の中、ドアを開ける。昨日しまった折りたたみ自転車を手に持ち、よっこらせと玄関を出て階段を下りた瞬間
ぐりっ
「あぶねっ」
足の裏に異物感を感じ、足首をひねる寸前の感じで階段から落ちそうになる。
そう、子供たちの宝物?らしき小石に足を取られたのである。
自転車もろとも、こけそうになったところをなんとか踏みとどまって立つ。
「あっぶねー…」
決心した。
「さらばじゃ!」
小石をすべて自転車置き場の方へ蹴り飛ばす。
子供たちのコレクションを、初めて積極的に排除した瞬間であった。
「あー、殺されるとこだった」
2010年6月21日
2010年6月28日
2010年6月29日
茶色っぽくなっちゃったなー、おつまみ(笑)okayanのお父さんから送られてきた、自家菜園育ちの有機野菜で作りました、じゃがいもと玉ねぎのカレー炒め、キャベツとモツの味噌炒め。カレー粉はもちろんリトスタカレー粉。うまし。
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