2005年12月31日

ノー・ディレクション・ホーム

[ ミヤザキの日々暮らし。, 見た・聴いた・読んだ ]

photo26日の定休日、吉祥寺バウスシアターへ、相方okayanと映画を見に行った。
マーティン・スコセッシ監督が撮った、ボブ・ディランのドキュメント映画「ノー・ディレクション・ホーム」である。
最近は仕事が忙しく、映画や音楽情報はおろか、最新のニュースにも疎いワタクシ(長州小力を知らないので、店でだめ出しをされた)。相方おかやんが「見に行こう」と言わなければ気づきもしなかったかも知れない映画。途中10分の休憩を挟みながら3時間半。いや、ディランの音楽に酔いしれつつ、その言葉と空気に浸る時間、心地よかった。

初めてディランの曲を聴いたのは、友部正人がアルバム「ライオンのいる場所」で歌った、日本語訳の「アイシャルビーリリースト」だった。友部正人はもちろん好きだったけれど、この曲がまた心に響いた。友部正人は一部で「日本のボブ・ディラン」とも言われていて、自然とボブ・ディランが聴きたくなった。
それで、ボブ・ディランを聴くようになった。
耳障りのいい声でもなく、きれいなメロディラインでもない、それなのに(だから、というべきか)気持ちに迫り来る音楽。
ボブ・ディランはきっと「本当のこと」だけを歌うから、人の心を揺さぶることができるのだろう。

有名人は最初から有名人ではなく、ヒーローははじめからヒーローではない。天才ではなくアイドルではなくカリスマでもない。田舎町で生まれ育ち、希望と野望をもったボブ・ディランが、やがて輝き始め、そして輝いているからこそ苦しんだり、いらついたり、悩んだりし、それでも音楽を続けていく姿をとらえた映画。
伝えたいことがあるとする。一言ではうまく言い表せないから、単に説明することができないから、人は様々な「作品」という形で表現する。時に音楽で、絵で、物語で。そこには説明も解説も必要ない。作者が自分の作品を解説する、それは作品が作品ではないということだと思う。
作品は発表した瞬間、自分の手を離れ、それを鑑賞した人のものになる。それぞれに感じ、解釈すればよい。それがその作品の真実だろう。
何かを創る、ということを志した人間として、共感せずにはいられない映画だった。そして、ディランがまた好きになった。